こういう部分はやっぱり気になります

映画を見る上でやはり劇場で見るのもいいが、どうしても都合が付かない、あるいは劇場へ足を運ぶのも面倒くさい、と考える人は多い。大体映画を見る時といえば平日ではなく休日に集中するため、有給や平日休みがある人を除けば、人混みの中をかき分けて劇場へ行かなくてはならない。かく言う筆者も自分がこれは絶対劇場で見たいという作品でないと、わざわざ足を使うこともない。理由を述べろと言われれば、いつか地上波のテレビでやるからという点だ。中には地上波でOA出来ない作品もありますが、そういう時はBlu-rayやDVDなどを購入します。劇場へも行ってBlu-rayも買う、という人もいますが余程の大ファンでもなければそこまでしないでしょう。

日本やアメリカで制作されている映画で劇場かソフトか、どちらで鑑賞するかはそれぞれ自由だ。それにより収益さえ挙げられれば良いだけの話だが、ここが実の所インド映画とは微妙に異なっているのを知っているでしょうか。調べてみると、やはりインド映画というものが年間で平均1,000本と並々ならぬ数の作品を世に送り出している点からも違いが出てきます。

映画で収益を上げるための手段

映画作品により収益を上げるための手段として、『配給』・『映像』・『放映』の3つが主な方法となっています。配給とは劇場で映画を鑑賞する方法、映像とはソフト化して販売する方法、放映はメディア放送する方法と、それぞれ似ているようで別のやり方で収入を上げて作品の総収益をあげるためにとられるものだ。

この3つ、日米とインドを比べてみると何をどれが一番優先されているかでインドが映画をどれほど重要な産業だとみなしているのかが分かる。日米に関してはあくまで予測の範囲だが、比べるとその違いが圧倒的に垣間見える。

日米の主な収益

インドの主な収益

ほぼ逆転している

見てもらえれば分かるように、日米とインドそれぞれの映画産業における主な収益手段は面白いほどに違っているのです。もちろん日本でも劇場公開での収益も大事ですが、劇場で見るほどの事ではないという作品にまで足を運ぶ人は少ない。そういう作品なら別ですが、最近だと日本映画の堕落ぶりが目に付く所。興行収入でどれだけ人気があるかが一種の物差しで図り、その後のソフト化や放映化で収益回収手段を企てます。

しかしインド映画は収益は劇場公開によるものが主力となり、日米のように放映化やソフト化などはあくまで『オマケ』といった風にしかみなしていないのです。違いという違いがここまで顕著に出ているので、この点を理解しているとインド映画の独特な産業構造をひも解きたくなるところだ。

ただインドのこうした産業の仕組みは極めて特殊なもので、基本的には日米の収益を挙げるやり方が基本となっているので、その点は理解しておこう。

映画制作は神職

産業としても世界経済で言えばかなり異質な立場にあるインド映画というものですが、それは制作の現場においてもそうだといえます。制作の現場というと、物凄い修羅場のように見える人もいるでしょう。実際にそういう現場もあると思いますが、インド映画の場合だと現場仕事が出来るというのは日本で言うところの『神職』のようなものだと見られているのだ。娯楽として多くの人々に愛され続けているだけあって、映画というものに携われる仕事が出来ること、それは何より素晴らしいものだとも考えられているという。

ただいくら神様にお仕えして行う仕事に匹敵すると行っても、現場での雰囲気はかなり緩いとも言われています。実際、自分の出番が来ない間はほとんど感知もされないので何がどういうふうに進行しているのかが見えにくいというのもある。これは何処に行っても言えることだが、現場にいられるだけで幸せと見られている点については間違いなさそうだ。