ブームが来ている、らしい

アーミル・カーン、という名前をどれだけの人が知っているかについては正直定かではない。言えることとがあるとすれば、知っている人は知っている、というくらいだ。インド映画は通称『ボリウッド』と呼ばれる程、年間に制作されている映画の数がハリウッドはもちろん、日本と比する事が出来ない数の作品を毎年作り続けている。その中には世界的な有名監督が担当していたりするなど、面白い点が盛り込まれているため世界中でインド映画ファンは多いのも事実だ。

ですが日本でインド映画、と言っても全く印象がないと言い切って良いかもしれません。世界的なブームになっているのかもしれませんが、日本という国で見れば世界的な作品でも必ずしも売れるとは限らない。ただ見てみると日本でもインド映画はムーブメントを巻き起こしている、そう言い切って良いようだ。

インド映画の関係者にすれば『インド映画を見ていないなんて人でなしの屑だ!』とは流石に言い過ぎだが、それくらい人気が高いのに見ない理由を知りたい、とも考えているよう。映画のジャンルで見れば日本国内ではマイナーな映画作品だけあって、面白さなどを理解できる人はかなり希少のよう。

ただひっそりと国内でもブームというブームは起こっているようだ。

日本でインド映画が注目されたのは

日本で最初にインド映画の面白さが広く普及した作品は1998年に公開された『ムトゥ 踊るマハラジャ』という作品からだ。ちなみにこの時筆者は小学生で、しかも当作品が公開されている街へはまだ言ったことがなかったので、存在そのものを親ともども知る機会はありませんでした。今回調べていく中で初めて出くわしましたが、当時単館上映ながら異例の大ヒットを記録したことでかなり話題を呼んでいたという。

それまで注目されても来なかったインド映画が、日本で初めて受け入れられた瞬間でもある。この1998年からが『第一次インド映画ブーム』と呼ばれている。だがそれもすぐ事切れてしまい、1年と保たなかった。その後も作品は公開されたが、中々受け入れられることはなかったという。

どうして受け入れられなかったのか

ではどうしてインド映画が受け入れられなかったのか、その理由を紐解くとここで絡んでくるのが『韓流ブーム』なんです。意外かもしれませんが、軽くまとめてみると時期が、実に狙いすましたように戦略が立てられていたのだ。

きっかけ 年度
インド映画 ムトゥ 踊るマハラジャ 1998年からおよそ2年間
韓流ドラマ 冬のソナタ 2003年から

意図したわけではないが、インド映画は韓流ブームを押し上げる『俺の屍を越えてゆけ』的な存在となってしまったのだ。

間違いなく不本意なのは目に見えているが、そういう状況に仕立てあげられてしまったので結果的に見ればインド映画のブーム終焉と同時に韓流が人気を博してしまったため、一度話題を出しただけでそれっきりとなってしまった。

覚えている人は覚えている

インド映画と言うと、実は日本のテレビ番組が企画からインドの短編映画を作るという事があった。当時爆発的な人気を誇っていた『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』から、インド短編映画『ナトゥ 踊る!ニンジャ伝説』という作品があります。

最早どれくらいの人が覚えているか定かではありませんが、一応インド映画の1つとなっている。日本人が主演を務めているので微妙なところだが、作風は実にインド映画らしい快活なものだ。当時見ていたが、正直言って漠然と見ていたがよく思っていたものです。

『なんでインドなんだろう』

今も来ているらしい

韓流ブームが強くなったことで日本でインド映画ブームは大成しませんでしたが、現在『第二次インド映画ブーム』がやってきているらしい。それこそ先に紹介したように『きっと、うまくいく』や『チェイス!!』といったヒット作が国内で上映されたことで端を切ったが、まだまだ周知の事実としてブームとは言いづらいでしょう。

ただ今は韓流という名が付くだけでも嫌悪する人も多いので、そこを狙ってインド映画が台頭してくればあるいは、とも言える。まだまだ未知数な部分も多いが、可能性で見ればインド映画が持つ底力は計り知れません。面白さが理解できればあるいは、という風に見てみるといいでしょう。