インド映画というもの

近年その地位を世界市場において飛躍的に伸ばし続けているインド映画産業ですが、その実態をよく知らない人は多いはず。日本にとってもですが、アメリカなどの国でも目ざとい人でもない限りは、インドという国が作り出す映画がどれほどのものか、という点をあまり意識していないと見て良いのではないか。もちろん自国文化については周知のインド人にしても、自分たち以外の国が作った映画など興味を持たないでしょう。特に日本が作り出す映画でまともに評価される機会がないことを思えば、まだインド映画の方が評価が高いと言われても納得ができます。

インド映画、そう一言で述べていますがチェイスにしてもそうですが、他の作品でも何を持ってしてインド映画と称しているか、ご存知だろうか。ハリウッドならハリウッドを舞台、あるいはアメリカを舞台にしていることが前提ですが、チェイスの場合はインド映画と言われながらも物語はアメリカだ。日本映画の撮影地がガラパゴス諸島で撮影して、日本の屋久島で撮影したものだと言っているようなものだ。

インドが作った映画と言われて真っ先に思いつくのが難しいのにも、色々と訳があり、それが特徴だったりします。

インド映画という定義

チェイス!についても何気にインド映画と淡々と述べてきたが、アメリカを撮影地に選んでいる時点でインド映画と言えるのかというのも疑問に感じるものです。一部のシーンで海外ロケをしたものが流れれば分からなくもないが、全編を通じてインドではなくアメリカが舞台となっているのも奇妙といえば奇妙だ。

ではインド映画と呼ばれるものをあえて定義付けするとしたら何かだが、一般的には以下の様な条件であればインド映画と称して良いという。

インド映画と称される条件とは

中々難しい

インド映画と称される作品は何かと定義するとなったら、実際にどのように線引すれば良いかという点が実に難しい。必ずしもインドを舞台にしていなければならないというわけでもなければ、インド人俳優、もしくは制作陣で固めていなければならないといったルールもない。それは日本映画などにも言えることですが、スタッフや俳優が同国出身者でなくては出演できない・仕事が出来ないといった縛りがあるわけではない。

そう考えるとインド映画の‘定義'とは何ぞや、と話をすると不毛な疑問にすら感じられてしまいます。チェイスにしても、主要登場人物はインド人、もしくはインド系でも、その他の役者の中にはアメリカ人がいるかもしれません。どう括りつけるかは一重に言えないところもあります。

見れば結構面白い

インド映画とは何か、という話をすると話題が尽きません。またインド映画でなくてもインド人関係者が俳優として主演している、もしくはスタッフとして重要なポジションにいる、といった事もある。

例えば誰もがホラー映画なのに名作と呼ばれている『シックス・センス』だが、映画はハリウッド映画の分類になってはいる、しかし実はこの作品の監督とはインド人なのです。監督名は知っているけど、まさかインド人だったとは知らなかったと意外に思うもいるかと思います。

その他にも『ベッカムに恋して』で女子プロサッカーというマイナーな世界観をテーマとして、その主演にはインド系の女優を起用しているのだ。実はこうした俳優にしろ、制作陣にしろ、探せばインド系の人間が関わっていることが多いのです。この場合ですとインド映画と名指しされることはなくても、インド人が関わっているという意味では非常に大きな意味を持つと言えるはずだ。

何処の国の人間が制作に関わっているのか、その点をあまり意識するのも失礼だが注目すると面白くもある。

何を持ってしてインド映画と呼ぶべきか

では一口に何を持ってインド映画と呼称すべきかと考えたとき、念頭に入れておきたい点はなんといっても『インド人らしさ』があるかどうかではないだろうか。とても抽象的な言葉となってしまいますが、日本映画にしてもハリウッド映画にしてもそれぞれ『自国らしさ』と言えるような側面が出ているのが特徴でしょう。インド人が見て共感、あるいは感心できるような、そんなポイントがなくてはらしさからは程遠いでしょう。